A Dog's World 

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サウジアラビア恋愛事情

サウジアラビア恋愛事情:男の場合

(2008年ニューヨークタイムズの記事より)

ナデルは肩をふるわせ拳を握りしめると、「若者の使命を果たそう」とつぶやいてから、患者もまばらな歯科クリニックのロビーに入っていった。受け付けの女性から電話番号を聞き出すためである。

女性に電話番号を聞くことはどんな国であれ若者にとって大きな関心事である。しかし宗教上の理由からあらゆる場面で男女が厳重に分離されているサウジアラビアでは、男性が親族以外の女性に話しかけることは即逮捕されることを意味し、場合によっては鞭打ちを科されたりもする。

そんなサウジのルールよりもっとナデルが恐れているのは、従兄弟のエナドにこの行為が見つかることである。ナデルはエナドの17才になる妹のサラと婚約しているのだ。ナデルは 「エナドには絶対に言わないでください。彼に殺されてしまう」と言った。

ナデルがクリニックに入った時、すでに太陽は傾いていた。中に入ると、ナデルの決心は急速にしぼんでいった。肩を落とし、震える声でつぶやいた。「今日は日が悪い、帰ろう」一瞬きらめいた彼の反逆心は、あっという間に消えてなくなった。

西側諸国では、大体において青春とは権威に反抗する時期である。しかしこれまでサウジアラビアで行った数十人の男女に対するインタビューを通じてわかったことは、イスラム世界で最も保守的なこの国に住む若者たちが、イスラムの教義と慣習を完全に受け入れていることだった。

おそらく若者たちは保守的な社会ルールに苛立っているだろうし、時にルールを破ろうとするに違いないが、その壁は彼らの前にあまりにも厚く立ちはだかっている。そうこうするうちに、今度は誰もが自分の子どもに対して同じようにルールを受け入れるよう伝えていくのだ。

サウジ人が個々に家庭のレベルで次世代に伝えようとしているイスラム復古主義は、昨今のオイルマネーの世界的な広がりとともに海を渡ろうとしている。ムスリム (イスラム教徒) が本来どのように信仰とともに生きていくべきかを、各国のムスリムたちに示しているのだ。

ナデルやエナドもそうだが、サウジアラビアの若者は、男性は家族の名誉を守らなければならないと厳しく教えられている。とくに女性が不謹慎な行為をして家族の名誉を傷つけることは絶対に避けなければならない。これは遊牧民の伝統がイスラムの信仰と結びついた典型的な例とも言える。

最も重要なアラブの伝統は「名誉」であるとエナドは言う。「もし妹が町に出かけひどい暴言をあびても、彼女は自分を守れないでしょう。男性は本質的に女性よりも頭がいいものです。二言三言話せば、その男性が何を目当てに女性に話しかけているかがわかります。常に女性は保護者である男性と一緒にいなければならないんです。例えば私が誰かに声をかけた時にもしも女性が答えを返してきてしまったら、私は謝らなければなりません。これは重大な問題であり背徳行為だからです」

* * *

エナドはいたずら好きで激しい気性を持つ20才の警察官である。ナデルは22才。穏和な話し方でいつも笑みを絶やさず、人を引っ張るよりはついていくタイプ。この二人は従兄弟以上の関係と言える。子どもの頃から一緒に遊び、どんな秘密も打ち明けられる親友になった。親類縁者が多く一族の絆が強いサウジアラビアでは、こういった関係性は珍しいものではない。

彼らはごく平均的な若者である。中流家庭に生まれ、信仰心も普通に持ち合わせている。ただし、彼らの住む町はサウジアラビア保守層の拠り所である首都リヤド。オイルマネーで潤う整然とした500万都市には、オーバーサイズの四輪駆動車が道にあふれているが、若者に対するエンターテイメントの場所は極めて限られている。

映画館は1軒もなく、いくつか運動施設があるだけである。もし男性が結婚していないのであれば、女性が買い物を楽しむショッピングモールにも行くことはできない。

ナデルはホテルの喫茶店のソファーに深く身を沈めた。オレンジジュースをちびちびすすりながら、携帯電話に目をやった。もしサウジの若者にひとつだけ自己主張のためのアクセサリーがあるとしたら、それは携帯電話である。

ナデルの携帯はインターネットからダウンロードしたきれいな女性シンガーや女優の写真で一杯である。着メロはアラビア語のラブソング。「自分はロマンチックなんです。アクションよりはロマンチックな映画が好きで、一番好きなのはタイタニックかな。やっぱりロマンス、ラブなんです」 ナデルは少し照れながら言った。

それから3日後、ナデルとエナドは近所のレストランで一緒に食事をとっていた。ナイフとフォークを使っていたため、普段のように右手を使って食べるのと違って少し集中力が必要だった。突然、二人は食事の手を止めた。女性が一人でレストランに入ってきたのだ。彼女はアバーヤ (黒い外套) とヴェールで完全に身を包み隠していた。

「あのバットマンを見ろよ」 ナデルはニヤニヤしながらあざけるように言った。エナドは席に着こうとした彼女に向かって、火のついたタバコを彼女に投げつけるふりをした。突然の女性の出現は、二人のぎらついた若者を苛立たせた。

「彼女、一人だぜ。男がついていない」 エナドは言った。なぜ彼らが苛ついているかというと、彼女自身の不謹慎な行為はもちろん、本来彼女についていなければならない男性の保護者が誰もいないからだった。

ようやく一人の男性 (おそらく夫) がやって来て彼女のテーブルに腰を下ろすと、彼女は顔のヴェールをはずした。それはますますナデルとエナドの心に火をつけることになり、二人はカップルに向かって挑戦的なハンドゼスチャーや小言を繰り返した。そしてそれはカップルが席を変えるまで続けられたのだった。

移った先のテーブルで女性はヴェールをかぶり直し、食事を口に運ぶ時はいちいち煩わしそうにヴェールをたくし上げていた。「神に感謝します。我々の女性は守られました」 エナドは天に向かってつぶやいた。

* * *

ナデルとエナドは1日5回礼拝をする。何をしている時でも、礼拝の時間になればその近くにあるモスクに向かう。サウジアラビアでは礼拝は義務であり、礼拝中は店舗も商売を中断しドアを閉めるよう宗教警察が見張っているが、ナデルとエナドにとって礼拝とは、コーヒーを飲みに行くくらい簡単で当たり前のことである。

二人にとって礼拝は同じように欠くことのできないものであるが、信仰については考え方の違いもある。エナドは、ジハード (聖戦) は他に手段がある場合にはそれほど良いやり方ではないが、イラクやアフガニスタンなど実際に戦闘が行われている一部の地域では妥当な手段であると考えている。ジハードは犯罪ではなく、ムスリムに科された当然の行いであると、普段の会話でもよく話している。

「もし誰かが家に入ってきたら、あなたは突っ立ったままか、それとも戦うか」 エナドは片膝に手を乗せそう言うと続けて、「アラブ、あるいはムスリムの土地は、ひとつの家のようなものだ」 と言った。彼は戦いに行くのだろうか。「ただしジハードには親の承諾が必要だと思う」 エナドは最後にそう付け加えた。

ナデルは、「その質問は聞かないでください、政府が怖いから」 と言った。彼が言うのも道理である。それほどジハードという原理主義的な考えは国民の心に深く埋め込まれている。狂信的な人間と衝突したくないという気持ちの現れだろう。警察官のエナドに対し、実はナデルも軍事施設の事務官なのである。

二人とも月給は4000リヤル (11万円) くらい。親元を離れ独立して生活するには足りない額だ。ただし、彼らの両親は子どもが結婚して新居を構えることには惜しみない援助を与えるだろう。子どもに高等教育を続けさせるよりも、金銭的援助を与えさっさと結婚してもらうことの方が、親にとっては大事な努めだと考えられている。

サウジ人の若者は口ひげやあごひげをたくわえている。そしてほとんどの時間は伝統的なトーブという衣装を身にまとって過ごしている。ナデルはいつも白くて足首まで隠れるトーブを着ているが、エナドはベージュが好きだと言う。

それが週末になると、彼らは派手な色のジャージにティーシャツ、ベルクロがいっぱいついたスニーカーという今どきな出で立ちに変身する。ただし、洋服を着た彼らは小柄でぽっちゃり体型が目立ってしまう。「運動しないから」 ナデルは短く答えた。

* * *

エナドは両親の家で8人の兄弟と一緒に住んでいる。父の第二夫人も一緒だ。アパートには家具が少なく壁には何もかかっていない。兄弟はリビングに集まり、床に敷いたカーペットの上に寝そべってテレビを見ている。母親と姉妹は閉じられたドアの向こうにある同じような部屋で過ごしている。

この家はエナドと従兄弟たちにとって安らぎの場所である。しょっちゅう集まっては一緒にテレビを見て過ごしている。タバコをくゆらせながらアラビックコーヒーや紅茶をすすり、アラビア語の字幕がついたオフラ・ウインフリーショーなんかを見ている。

ナデルとエナドはいつも一緒にいたが、ナデルがサラと婚約してからその関係が微妙に変化した。エナドの父親はナデルに、4人の娘から結婚相手を選ぶことを許した。ナデルはサラを選んだ。彼女は長女ではなかったけれど、子どもの頃に見たその顔が可愛かったと記憶していたからだ。

彼らはすぐに結婚の契約書にサインした。二人は法的に夫婦となったが、伝統的な習慣から、来春行われる結婚式の日までは別々に暮らしている (この記事の時点で1年後)。この期間、二人は互いに顔を見ることはできないし、一緒に過ごすこともできない。

ナデルは、花嫁の顔を初めて見るのは結婚式の後、夫婦の記念写真を撮る時になるだろうと言った。その結婚式も、サウジアラビアでは男女別々なのだが…。「花嫁のルックスが知りたかったら、兄弟の顔を見ろ」 という諺があるらしい。

子どもの頃の記憶を頼りに花嫁を選んだナデルは、いずれにしろ伝統を守る気でいる。こんな時の彼は 「ロマンチック・ナデル」 ではなく 「トラディショナル・ナデル」 だ。

ナデルの携帯が鳴った。メール受信のマークだ。彼は顔を赤らめて少し舌を突き出すと、隠すようにしてメールを読んだ。送り主は "My Love"。実はナデルはサラとメールのやりとりをしている。サラから着信があると携帯に "My Love" の文字がハートマークとともに点滅するようになっている。

これは珍しいケースである。これもエナドのおかげなのだ。ナデルが彼女のために買った携帯電話を、エナドが親に内緒でそっとサラに渡してくれた。こういった未婚の男女のやりとりは本来タブーであり、親にばれたら両家の関係に亀裂が入ってもおかしくないほどの大問題である。

二人のコミュニケーションは秘密のやりとりだ。そしてエナドは秘密を守ってくれている。しかしナデルは、将来の彼との関係をどうしようかと秘かに悩んでいる。一人の男として、家庭を守る者として、年下のエナドに対する自分の立場をはっきりさせなければならないだろう。

エナドがナデルに冗談を飛ばす。「何年かしたら妹はひげ面の男と一緒にキッチンに立っているかもな」。「そんなことないさ」 ナデルは反論した。「俺だって男だから」

他にも問題が出ている。新婚旅行だ。ナデルはサラを連れてマレーシアに行くつもりだが、エナドも一緒に行くと言い張っている。「だって貸しがあるだろ、連れてってくれなきゃ」

そういうエナドはどこかいたずらっぽいのだが、ナデルは彼の本心をはかりかねている。「エナドは冗談がきついんです。もちろん彼は来ないと思いますよ。どう考えたってダメでしょう」。後でこっそりナデルが言ってきた。

* * *

ナデルはリヤド育ちだが、エナドは14才まで田舎に住んでいた。リヤドから西に560km離れたナジュフ村で過ごした祖父との生活は、彼の性格に強い影響を及ぼしている。この村は、エナドにとって今でも一番安らぐ場所である。久しぶりにここを訪れた。

祖父の家は荒れた土地にぽつんと建っている。一番近い隣家でも6km以上離れている。コンクリート造りの平屋で、寒い冬の間は暖炉で火をたく。家の中はガランとしていて、いくつかのクッションと礼拝用の小さなカーペットが床に置かれているだけ。この家に来ると、みんなゴミなど窓の外にポンと投げ捨ててしまう。家の周りのことは住み込みのインド人のボーイがすべてやってくれるのだ。

エナドは祖父が一緒の時はタバコを吸わない。父親の前でもそうだ。従兄弟の一人がまた別の従姉妹のアルアティのことを話し出すと、エナドはだまってしまう。22才の彼女はエナドに興味津々だと言うのだが、これは別の従兄弟であるライドがアルアティに結婚を申し込んで断られたという話から伝わってきたことだ。

男女の色恋沙汰は様々な問題を引きおこし (男らしさとは、愛とは、家族の関係とは…)、風のように噂は広まり、そして今エナドが当事者としてそこにいる。アルアティはまず妹に、エナドに対する好意を話した。

そして妹が何人もいる従姉妹たちにこの話を伝えると、噂はたちまち従兄弟たちの間を駆けめぐり、ついにこの噂はエナドの耳に届いたのだった。「男性に対する好意をおおっぴらに話すことは禁じられています」 アルアティの言葉である。

エナドはアルアティのことを聞かれてもポーカーフェイスをくずさなかったが、内心嬉しくてしょうがなかった。なんとかアルアティと連絡を取りたいと考え、ある時彼の家を訪れた親戚の女性にそのことを頼むと、しばらくして彼女から好意的なメッセージが届いた。エナドは自らの信条として、男は女性の好意を裏切ってはいけないと考えていた。

ひとつ問題があった。従兄弟のライドである。なぜ彼女がライドの求婚を断ったのか。それよりも本当に彼女は断ったのか。エナドは彼女の兄弟に頼み込んで、ライド本人からその点を確認することができた。「こういうことは秘かにやった方がいい」 エナドは小声で話した。

この時エナドが村に滞在したのはわずか2日間だけだった。アルアティのことが気になって、リヤドに戻った彼はちょっとした興奮と胸苦しさに襲われていた。その週の終わりに、エナドはナデルと一緒にリヤド郊外の砂漠に出かけた。宗教警察も煩わしい隣人もいない、自由な空間だ。若者は砂丘でジープを駆り、大いに羽を伸ばす。二人は砂の上に敷いた毛布に寝転がった。

ナデルが口を開いた。「俺、ロマンチストなんだ。でも、ロマンスがないんだよ」

ナデルが言いたいことはつまり、サウジアラビアには若い未婚の男女の出会いがまったくないということである。もちろん、こっそりと若者がデートする話や恋に落ちる話はたくさん聞く。でも誰もそれを親に打ち明けることができないのだ。

二人がどうやって知り合ったのかはファミリーの名誉にかかわる極めて重要な問題であるが、そもそもここサウジアラビアでは男女が知り合えるわけがないのである。

一組の若いカップルがいる。彼らは2年間秘かにデートを重ね、本気で結婚を考えた末、仲介する人間を雇い二人が知り合った嘘の理由を整えてから親に報告し結婚の承諾をとったそうだ。

ナデルの気持ちはエナドには理解できない。「ロマンスがないだって? そんなことあるものか」 エナドは少し怒ったように目をつり上げて話す。「結婚して、妻にロマンチストであればいいんだよ。それとも道ばたに立っている女とのロマンスを求めてるのか?」

この言葉にナデルはあわてて 「違う違う、そういうことじゃなくて」 そう言いかけるとエナドは、「俺を納得させてみろ、そうすればお前が正しいんだろう」 と再び語気を荒げ、ナデルにつかみかかった。「単にロマンスがないって言っただけだよ」 ナデルはエナドの手を払うように言った。

エナドは興奮して従兄弟につかみかかったままだった。エナドの荒々しい息の下でナデルはこう言うしかなかった。「エナドはなんでも知っている」 その言葉を聞くと、エナドは落ち着きを取り戻した。

「よし、ロマンスはあるんだ」 エドナはそう吐き捨てると、ばつが悪そうな顔をしながらその場を離れていった。

サウジアラビア恋愛事情:女の場合

(2008年ニューヨークタイムズの記事より)

アシールの家のリビングルームで行われたダンスパーティーは最高潮を迎えていた。集まった女友達は20人以上。みんな10代後半だ。アシールは母親と一緒に忙しそうにお茶とデーツ (ナツメヤシ) をふるまっていた。

半分の女の子たちは、ごてごてに装飾されたテーブルと派手なティッシュ箱を前に大げさなドレープのソファーに腰掛けながら、自然と体を小刻みに動かしていた。先ほどまで彼女たちを頭からつま先まで覆っていたアバーヤ (黒い外套) は脱ぎ捨てられ、イスの上に乱雑に積まれていた。

急に音楽が止まり、18才のアリアがおずおずとみんなの前に進み出た。「みんな!伝えたいことがあるの」 ハイヒールに体をよろめかせながらアリアは言った。ほんの少し間をおいてから、そうして今度は一気に早口でしゃべった。

「私、婚約したの!」 リビングルームに歓声があがった。まるで悲鳴のようなみんなの声を聞くと、他の子がそうするようにアリアもわっと泣き出した。アシールの母親は気を利かせてそっと部屋を出た。こんな瞬間は若い子だけにしておいた方がいい。

彼女たちは中学の頃からの友達だ。アリアの結婚はグループの中で初めてのことだった。アリアの携帯電話には彼女の夫になる男の写真が入っていた。バドルという25才になる軍人だ。

携帯が一通りみんなの間を回ると、今度は矢継ぎ早に質問が飛んだ。どんな人なのか、きっかけは、感想は、などなど。これはショーファ (viewing=見られること、査問されること) といって、婚約した女の子にはお決まりの儀式になっている。

男性は結婚を申し込む時、父親の許しを得て女性の普段着の姿を見ることができる。アバーヤを脱いだ姿である。中には女性との会話を許される人もいる。つまり女性が男性からショーファを受けるのであるが、こんなことはまず生涯に一度きりだそうだ。

* * *

サウジアラビアにおける男女の分離は、大げさではなく本当に極端だ。女性は車を運転することができないし、外に出る時はいつでもアバーヤで全身を隠さなければならない。彼女たちは自家用車で女子校に通い、レストランや喫茶店ではファミリールームに入る。シングルルーム (男性客用の部屋) とはきっちり壁で分けられているのだ。

女性用のスポーツジム、女性用のブティック、旅行代理店の女性用窓口などがある中で、最近首都のリヤドには男性立ち入り禁止の女性専用ショッピングモールまでできた。ここなら男性の付き添いなく、女性だけでも買い物ができる。

アシールとその友達のように活発な女の子たちも、保守的な社会によって普段の行動は極めて制限されている。にもかかわらず、ほとんどの女性はそんなルールに対して疑問を持とうともしない。

若い女性でもみんな、イスラム復古主義であるワッハーブ派の保守的な教義を深く信じている人がほとんどだ。インターネットの自分のフェイスブックに男性を友人登録するくらいかまわないとか、従兄弟の長兄なら女性は顔を見られてもいいのかもしれないなどと時々議論になることはあるらしい。

逆に今回は記者 (ニューヨークタイムズ) の方が、サウジアラビア取材を通して出会った男性たちが普段何を考え何をしているのか教えてくれと、彼女たちから質問を受けてしまった。

女性が結婚前に男性と会話してはいけないということは、ある種の都市伝説として広まっている。「ネットの男性用チャットに女性が紛れ込んでいると思ったら、その男性の婚約者だった」 というものだ。

友達の友達から聞いた、妹のクラスの子がそうだった、などとまことしやかに語られている。もちろん、その女性はあばずれと見なされる。子どもの頃からはっきり男性と分離されて育てられた彼女たちは、男性のことを話す時にまるで別世界の生き物のように語っている。

* * *

その日、夕食が終わった頃、アリアは電話で婚約者と話すことを許された。二人の初めての会話は次の日に予定されたが、彼女はバドルと何を話して良いかわからず、いくつか質問をリストアップしてみた。

「今の仕事が好きか聞いてみたら? 男の人は仕事のことを話すのが好きなんじゃないかな」 友達の一人がこうアドバイスした。「どんな携帯を持っているか、それから乗っている車」 別の友達が提案した。「そうすれば趣味にお金をかける人なのか、しみったれなのかわかるでしょ」 アリアは神妙な面持ちでうなずき、懸命にメモを取った。

アリアはバドルからショーファを受けた日のことを思い出した。父親に呼ばれバドルが待つ部屋にジュースを持って入って行った時、彼女はひどく緊張してあやうくお盆をひっくり返すところだった。

バドルの前に立っている間は、まるで拷問を受けているように感じた。バドルが何を話しかけてきたかはほとんど思い出せない。次にセッティングされた電話の会話で、ようやくアリアは少しだけバドルのことがわかったという。

ニューヨークタイムズは2007年12月から3ヶ月かけて、15才から25才の30人ほどのサウジ女性にインタビューを行った。最近のサウジアラビアでは、婚約した男女であれば電話で会話しても良いと考える人が増えてきたようだ。もちろん、保守的な家庭では今でも結婚式前の男女の接触は厳しく禁止されている。

結婚式前にあまり婚約者のことを気にするのは、はしたないことだと考えられている。女性の方から男性に連絡を取るなんて、どんな方法であれ御法度だ。しかしそれでもなお、なんとか内密に婚約者と連絡を取ろうと行動を起こす女性は多い。男性社会の何たるかを知っておくことも重要だ。

実はこの二人、とても近い場所に住んでいる。バドルのオフィスはアリアが学校に通う道沿いにあるし、バドルが親戚と集まっては時間を過ごすマジュリスだってすぐ近くだ。それなのに、アリアにとって男性社会ははてしなく遠い。他の女性にとっても、男性社会は冒険するにはあまりに未知の世界である。

* * *

18才のアシールが法律学科1年に在籍するプリンススルタン大学で、2年の女子生徒が記念写真を撮るため男の格好をしたままお茶を飲んでいた。彼女たちは足首まで隠れるトーブ (サウジ男性が普段から着ている伝統的な白い服) を着て、頭にはシュマーグ (男性用のスカーフ) をかぶっていた。一人はペンを使ってあごひげを書き、そうして携帯電話で写真を撮りあったのだ。周りに携帯を見せて回ると歓声が上がった。

「女の子はみんなやっていることよ」 18才のサラによると、みんな兄弟の衣装ダンスから勝手にトーブを持ち出して写真を撮ったりしているのだそうだ。ちょっとした反抗なのかもしれない。彼女たちはマクドナルドの男性用カウンターに平然と歩いていったり、時には車の運転をすることによって、男性社会に挑戦しているのだと言う。

「ただのゲームだけどね」 あっさりとサラは言うが、宗教警察に捕まることを覚悟しなければならない危険なゲームだ。「私はそこまでやったことはないけれど、あの二人 (トーブを着て写真を撮った二人組) はすごいの。お店に入っても他の子より目立とうとするし、顔を出したりするのよ」 サラはヒジャーブ (ヴェール) で顔を隠す仕草でことさら貞淑な女性を装いつつ笑いながらこう言った。隣にいるクラスメートのシャデンも笑っている。

サウジアラビアの新聞では、若者のこういった反抗をしばしば大げさに書き立てている。最近も宗教警察と若者の険悪な対立が報道されたばかりで、こうした社会的制約が最近増えている同性同士の恋愛に結びついているのではないかとも言われている。

また、若い男性が、女性が乗っている (と思われる) 車を追いかけ回し、自分の電話番号を教えようとするナンバリング (numbering) と呼ばれるいかれた行動も、都市部では頻繁に見られるようになってきた。

女性がショッピングモールに行く時は、携帯のブルートゥースはオフにしておいた方が良い。さもなければ周りの男たちから嫌というほど写真やらメッセージやらを送りつけられるだろう。若者は出会いを求めているのだ。

去年、サウジのテレビ番組で特別な「電子ベルト」についてレポートしていた。これにはブルートゥース機能がついていて、腰につけたベルトから自分の電話番号やメールアドレスを相手に送信できるのだが、最近はこんなものを買う若者が出てきたのだそうだ。

* * *

サラとシャデンは、彼女たちの学校にも "仲が良すぎる子" がいることを知っている。彼女たちはきっと疑似恋愛をしているに違いないが、トーブを着たり同性愛を楽しんだりすることも、結局はゲームなのだ。

誰かとの結婚を親に告げられた瞬間、そのゲームは必ず終わりを迎える。だからこそ彼女たちは友達同士で、男からナンバリングで追いかけ回されたことを大げさに騒ぎ立て、それでいて実際に男の子と連絡を始めた子など見たことも聞いたこともないという、いつもの堂々巡りの話に花を咲かせるのだ。

「もしあなたが男性とチャットしているところを家族に見つかったら、それは電話で直接話すよりは罪が軽いと思う」 サラは説明を始めた。「電話はさすがにダメよ、みんな言ってる。イスラムでは知らない男性に自分の声を聞かせちゃダメなの。チャットだったらテキストを見られるだけでしょ」

「もし家族に話をするのが恥ずかしいと思うことだったら、それはやっぱりいけないことだと自分でわかっているからだと思う」 サラは続けて言った。「しばらくフェイスブックをやっていたんだけど、何人か男性が登録してきたの。自分からメールを送ったことはないけれど、友達になってくれと言われたからそういうふりをしていたわ。でもしばらくして家族のことを考えたら後ろめたくなったの。結局彼らはリストから削除してしまった」

サラとシャデンは二人とも、宗教警察はサウジ社会を守る上で大切な役割を担っていると、尊敬の眼差しさえ浮かべ答えた。シャデンは付け加えて、敬虔なムルタズィムになった兄弟のことを少し自慢げに語った。彼女の家族はこれをきっかけに一層敬虔な信徒になったのだと言う。「彼が9年生 (15才) の時にムルタズィムになったことを神に感謝します」 再びシャデンは優しく言った。

「彼がひげを伸ばし始めた頃を思い出すわ。最初はまだ全然まばらでおかしかった。トーブも丈が短いのを着るようになった」 サウジアラビアの男性は、自分がより敬虔である証としてひげを伸ばしっぱなしにし、足首よりも丈の短いトーブを着る。預言者ムハンマドの出で立ちに習ってのことだ。

「何かあった時はいつも彼に話をしていた。彼はそんなに厳しすぎる方ではなかったし。時々は音楽も聞いていたのよ。で、一度聞いたことがあるの。あなたは正しいことをする人なんでしょ、なんで音楽を聴いているの? って」

彼女の兄弟はこう答えたそうだ。「音楽がハラーム (禁忌) だってことは知ってる。そのうち聞かなくなると思ってるよ、インシャーアッラー (もし神がそう望めば)」 シャデンはすかさずこう言った。「夫になる人があなたみたいだといいな」

* * *

シャデンはリヤド郊外にある高い塀に囲まれた大きな家に住んでいる。同じ塀に囲まれた敷地の中には父親の兄弟の家族が家を建て住んでいて、庭とプールは2軒でシェアしている。

シャデンは従兄弟たちと一緒に育ったと言っても良い。夏は同じプールで泳いだし、二家族で旅行に出かけることもしばしばあった。

現在、シャデンは17才になった。サウジアラビアではもう大人の女性であり、これからは女性の世界にこもらなければならない。その現実が、彼女には時々ひどく寂しい。

「9年生か10年生 (15、16才) までは、庭に絨毯を敷いて従兄弟たちと一緒にホットミルクを飲んだりしていたのに」 彼女は家に招待した何人かの女友達に自分で作った特製ディップをすすめながら話しを始めた。

「母親たちがよく思っていなかったのね。それがわかってからはもう集まるのを止めたわ。今でも時々従兄弟とメールをしたり電話で話すけれど、顔を見せたことはその時以来ないな」

「私はよく妹と一緒になって母親に聞くの。なんで従兄弟たちの乳母にならなかったのかって」 彼女によれば、同じ母の乳を飲んで育った子どもは兄弟姉妹と同じであるという。

これはアラビア半島に伝わる昔からの習慣であり、今なおそう考える人は多い。シャデンが従兄弟たちとそういう関係であったら、彼らの前で顔を隠す必要もなかったのだ。ただし、いわゆる乳兄弟とは結婚はできないことになっている。

シャデンはキーラ・ナイトレイ主演の映画 「プライドと偏見」 のコピーDVDを示しながら言った。「この映画の舞台は今の私たちの社会に似ている。尊厳があるけれど、少し厳しすぎる。この映画を観るとサウジアラビアを思い出さない?。私は一番好きな映画なんだ」

シャデンは深い溜息をついた。「最後にダーシーがエリザベスの所に来て言うの、"I love you"って。それが私の理想」