A Dog's World 

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パーペチュアル・マイナー(サウジ女性に対する人権侵害報告書)

サウジアラビア人女性がガーディアン制度 (女性に対する男性の保護者制度) と男女分離政策により人権侵害を受けているとして、ニューヨークに本部を置く国際人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ (HRW)」が調査報告書を作成しました (2008年4月)。

まず、2006年12月に3週間かけて女性の調査員がサウジアラビア国内 (リヤド、ジェッダ、ダンマン、アハサー) で109人の女性にアラビア語でインタビューを行い、2008年3月、報告書公開に先立ち、サウジアラビア人権委員会の仲立ちを得て、HRWとサウジアラビア政府関係者との間で内容の確認が行われたうえで、この度一般公開されたものです。

報告書のタイトルですが、Perpetual (永久の、終身の) Minor (次位の、二流の、重要でない、未成年) という表現は、まさに現在サウジ女性が置かれている状況をピタッと言い表した言葉だなぁと感心しますが、なかなか良い日本語が浮かんできません。結局、カタカナでそのまま書きました。

この報告書は、決してサウジアラビア政府を批判しているわけではなく、むしろロイヤルファミリーや政府が状況を改善しようと数々の法令の改定を行っているにもかかわらず、実際の運用がなかなか進まないという現状をあばいています。保守とリベラルの舵取りの難しさ、もどかしさをひしひしと感じます。以下、報告書の概要を記しますが、英文報告書はHRWのウェブサイトで公開されています。

女性の権利とイスラム

サウジアラビアはイスラムを国教とし、法律から教育、生活の規範まですべてをイスラムの理念に基づき制定しており、特に公序良俗に関しては勧善懲悪委員会によりコントロールされている。イスラムの宗教的価値観が、概して女性の自立を阻害していると言える。サウジアラビア宗教界は、1994年にカイロで行われた「国連・人口と開発会議」を認めていない。会議の議題である「避妊、中絶、男女平等、男女共学」が、神の法および自然の法に背いているからである。

サウジアラビア国内で、イスラム法に基づく公式見解 (ファトワ) を発出する機関である科学調査・法見解常設委員会 (CRLO) もまた、女性の権利阻害を助長している。例えば、女性が結婚を遅らせてまで大学教育を受けることが正しいかどうかという件に関して、CRLOは1990年代に次のようなファトワを出している。

「女性が大学教育を通して成長しようとすることは、我々にとって必要ないものと考えられるが、審議が必要な論点である。女性は小学校を卒業し読み書きができるようになれば、神の書物 (コーラン) と預言者の言行録 (ハディース) を読むことができるわけで、それで十分ではないかと考えられる。ただしこれは、その女性が薬学や関連の分野において他者よりも優れている場合は、男女共学など禁じられている事柄を破らない限り、該当しない」

また、イスラム法はどのように女性の就業を尊重しているかという問いに対して、CRLO は次のように回答している。

「神は女性が家庭を守ることを推奨している。女性が公共の場に出ることは、争い (フィトゥナ) が広がる原因である。イスラム法 (シャリーア) は、女性は必要な時のみ、ヒジャーブ (顔を隠す黒いスカーフ) をかぶりあらゆる事態を避けたうえで、家から出ることを許可している。しかしながら、一般的なルールでは、女性は家の中にいるべきである」

このように女性の人格を軽視した考え方は保守的な宗教指導者に多く見られるが、サウド王家は国内保守派とのパワーバランスを考慮しつつ、注意しながら宗教界とは異なる対応措置をとろうとしてきた。

サウド外務大臣 (サウド王家プリンス) はHRWのインタビューに対し、「社会構造を壊さない限り、我々はどんな措置でもとる。しかしサウジアラビアはまだ若い国家であり、我々は国民の結束というものに非常に神経をとがらせている」と答えた。

ガーディアン制度 (女性に対する男性の保護者制度)

ガーディアン制度は他のどの政策よりも、根本的に女性の立場に影響を与えている。この制度は、次にあげるコーランの婦人章34節を誤って解釈していることから生み出されているものである。

「男は女の擁護者 (家長) である。それはアッラーが、一方を他よりも強くなされ、彼らが自分の財産から (扶養するため)、経費を出すためである。それで貞節な女は従順に、アッラーの守護の下に (夫の) 不在中を守る。あなたがたが、不忠実、不行跡の心配のある女たちには諭し、それでもだめならこれを臥所に置き去りにし、それでも効き目がなければこれを打て。それで言うことを聞くようならば彼女に対して (それ以上のことを) してはならない。本当にアッラーは極めて高く偉大であられる」

多くのイスラム学者が、イスラム世界におけるガーディアン制度成立の歴史を分析しているが、現代社会においてはその必然性は低いと考えている。現代は女性の経済的自立が可能であり、家庭の生活費を夫婦でシェアすることも普通に行われている。女性は男性に比べ、貧困、危険、搾取にさらされる可能性が高いとする意見もあるが、社会が混乱していた時代と違って、政府と権威が安全を保証する現代社会においては、ガーディアン制度はむしろマイナス要因である。

男女分離政策

サウジアラビアはほぼ完全な男女分離政策をとっている、世界的にも珍しい国である。女性は男女が混在する公共の場では顔をあらわにすることを戒められており、勧善懲悪委員会 (宗教警察) が病院以外のあらゆる職場や公共の場で厳しく目を光らせている。宗教警察が公序良俗に反する行為 (婚姻関係にない男女が食事を共にすることなど) を見つけた場合、彼ら (彼女ら) を警察署に連行することが認められている。CRLOはこの政策の必要性を次のように述べている。

「イスラム社会では、男性が働く場所に女性を招き入れることは破滅をもたらす行為であり、男女を混ぜることは、最も危険な落とし穴 (誘惑) である。ジェンダーライン (男女間のある一線) を越えて男女を自由に接触させることは、不義密通の主な原因であり、モラルの崩壊と社会の破滅を導く」

しかしながら、こうした古い因習を現代社会に適用することは著しく女性の人権を侵害する行為であり、間違っていると言わざるを得ない。

女性が教育を受ける権利の否定

サウジアラビアはこの50年間で、限定された範囲ではあるが女性の教育について目覚ましい進歩を遂げてきた。国連の報告書によれば、15才以上のサウジ女性の識字率は、1970年に16.4%だったものが、2005年には83.3%にのびている。

一方で、「女性の教育はイスラムの知識を与えることと、良妻賢母にならせることが目的である」 という1969年に策定された古いポリシーが生きており、2002年まで女性の教育はすべて宗教指導局が監督していた。看護と教育分野以外、女性の教育は不要なものであるとみなされている。

ガーディアン (父親など男性の保護者) の許可がない限り、女性には進学や学科選択の自由がない。また、たとえそれをガーディアン自身がわずらわしいと感じても、彼らはたびたび学校に顔を出さねばならない。すでに結婚している女子学生の場合、夫は彼女の就学が家事に悪影響を及ぼさないことを証明するため、やはり学校に一筆提出しなければならない。

キングサウド大学の代表は、これは高等教育省のポリシーであって、大学側は女性の就学について何らガーディアンの許可を求めることはないとHRWに説明した。それどころか、男子生徒との接触を心配して女性の就学に反対する父親を、学長が説得したこともあると述べた。

国費留学については、高等教育省は女子学生に対し、留学前に結婚して夫を一緒に連れて行くか、あるいは他のガーディアンを同行させることを求めている。これによって近年、海外留学を希望する女子学生の増加にあわせて、「トラベル・マリッジ」という現象が増加している。これは留学生の資格要件を満たすためである。

男女分離政策は、女性の教育にも深刻な影響を与えている。大学の女子校舎は、しばしば男子側よりも施設や教育機会において不平等を被っている。たとえばキングサウド大学では、女子学生は古い校舎と貧弱な図書館を与えられている。男子校舎にあるメインの図書館は、女子は週に1日しか利用できない。リヤドにあるキングファハド公共図書館は、女子は入館を許されていない。本を読みたい場合は、事前に申請書を提出し、代理の男性にその本を取ってきてもらうしかない。

大学のカリキュラムも、女子用のものは数と種類が限られている。サウジアラビアの大学卒業生の58%を女子が占める中、そのほとんどは教員養成大学である。政府は大学教育の拡充を図っているが、女子にエンジニアリング、建築、政治学を教える大学はないし、これらを教える男子のクラスに女子が入ることも許されない。

名声を誇るキングファハド石油鉱物大学も、今のところ女子学生を入れる予定はない。キングサウド大学では、男子には14ヶ国の外国語教育を受けるチャンスがあるが、女子には2ヶ国語のみである。医科大学でも女子学生のカリキュラムは範囲が限定されている。

大学の女子校舎では、生徒が自分の意志で学校の敷地外に出て行くことは許されない。授業中はゲートが閉められ、認定されたガーディアンか代理の運転手のピックアップがあって始めて女子は外に出ることができる。

寮に住む女子学生も同様に、認定されたガーディアンが来ない限り、たとえ病気であっても外出は許されない。つまり、ガーディアンに連絡がつかない限り、女子生徒の急病など緊急事態にも対応ができないのである。

2002年3月には、メッカの女子小学校で火災が発生し、宗教警察がスカーフをかぶっていない生徒が建物から避難して出てくることを阻止したため (と目撃者が語っている)、15人の少女が亡くなるという痛ましい事件が起こった。しかし教育省はこの事実を否定している。

女性が就業する権利の否定

サウジ女性は相変わらず労働力としてほぼ除外されている。サウジアラビアは世界でもっとも女性の就業率が低い国のひとつで、2004年に国連は世界のジェンダー配慮ランキングを発表し、政治・経済活動という点において、サウジアラビアを75ヶ国中74位にランクした。サウジ女性が国内の就業人口に占める割合は外国人労働者を含めると4%、サウジ人だけであれば10.7%である。

サウジ女性がインテリアデザインを除き技術短大でエンジニアリング分野の教育を受ける機会がないことは、サウジアラビアには自国人の女性エンジニアがいないことを意味している。また、女性裁判官、女性検察官、実務を行っている女性弁護士もこの国には存在しない。キングアブドゥルアズィーズ大学が2008年に女子として初の法学科卒業生を出す一方で、法務省は女性弁護士の実務認可を今後も行わない方針である。

サウジアラビアでは、政府系事務所でも民間企業でも、女性の就業にはガーディアンの許可が求められる。ある女性はHRWのインタビューに対し、教員として就職が決まり必要な書類をすべて整えていたにもかかわらず、学校側からガーディアンの許可証の提出を求められた経験を語った。

労働省によれば、女性の教員 (現在の女性就業人口の大部分) については、遠距離を通う者も多いので、就業に際してガーディアンの許可証が必要であるが、医療関係の場合は概ね不要とのことである。

雇用主は、女性スタッフのガーディアンが退職を求めた場合、理由を問わず即刻応じなければならない。2006年に制定された労働法では、職場での男女の分離については特に触れられていないが、現状ではやはり厳然と分離が行われている。

この新しい労働法では、「すべてのサウジ人労働者は、国内のあらゆる分野において平等に働く権利を有する」 とうたわれているが、労働法の別の箇所では、「イスラム法を遵守し、女性は天分にあった分野で働くこと」 という相反することが書かれている。

男女分離政策は、雇用主にとっても負担が大きい。つまり、女性専用の施設 (出入り口、部屋など) を作ること、交通手段を確保すること (女性の運転免許取得と運転は法律で禁止されている)、あるいは必要な交通費を給料に上乗せすること、政府事務所においては男性の監督なく女性だけでは業務が行えないことなどである。

2005年に閣僚委員会は女性の就業機会増加を提言した。その中で、女性関連製品を扱う店ではサウジ女性のみが就業できると規定されているが、宗教界からは強い反対を受けている。労働大臣はHRWのインタビューに対し、「我々は女性の就業を推し進めようとしているが、社会的慣行を壊さない方法が必要である。最初は女性の衣服や下着を売る店舗から始め、まず国民の支持を得たいと考えている。このアイデアに猛反発を受けていることに、我々も驚いている」と語った。

女性が健康である権利の否定

サウジ女性の健康に対する権利が、ガーディアン制度によって危うくなっている。いくつかの病院では、女性あるいはその子供について、入院、退院、治療の際、ガーディアンの許可を求めている。こういった医療行為についてガーディアンの同意が必要であるという法的な根拠はないが、病院の経営陣に宗教色が強いかどうかで対応が分かれる。

法律上、女性が18才以上であれば自らの判断であらゆる医療行為が可能であるが、様々な社会的要因があって、法律の遵守が阻害されている。現在求められていることは、女性が自ら健康である権利を有するのだと人々に啓蒙することである。法律はある。あとは実行するだけである。

サウジアラビアの医療現場をあまねく取り囲んでいるガーディアン制度であるが、すべての医療従事者が法を犯さず (ガーディアンの許可など求めず) その責務を果たすよう、保健省が強い指導力を発揮すべきである。

現在、保健省のガイドラインで唯一ガーディアンの同意が必要な医療行為は、不妊につながるものだけである。ある病院で子宮頸ガンが発見された女性がいたが、手術のためにはやはり夫の許可が必要であった。手遅れにならないためにも、女性が自身で即断できることが望ましい。

陣痛を起こしている女性がガーディアンなしに病院を訪れた場合、病院側はそれが正統な結婚による妊娠であるか、不貞の結果あるいは暴行によるものであるか、慎重に判断せざるを得ない。

妊婦がガーディアンと一緒に病院を訪れ出産した場合、退院時は誰と一緒でもかまわない (使用人でもよい)。もしガーディアンなしで入院し出産した場合は、それは警察の事件扱いとなり、退院には必ずガーディアンが必要である。もし誰も来なければ、彼女はずっと病院から出られない。

ある病院関係者の話によれば、今から2年前、病院に陣痛を抱えた女性が訪れたが、それは緊急の帝王切開が必要であった。ガーディアンは海外出張中で許可が出せなかったため、担当医が個人の責任で手術を行った。夫が出張から戻ると病院に駆けつけ、両者の間でつじつまが合うよう、執刀日の修正 (偽造) を行った。

女性が暴力にさらされる危険

ガーディアン (主に夫のケースが多い) の暴力を受けた女性を治療しても、病院としては家に戻ってもらうしかない。警察もまたそのようにアドバイスをする。警察は家庭内暴力を表沙汰にすることを好まない。被害者にもそのことを伝え納得させている。

ガーディアン制度がある限り、男性 (夫や父) から女性 (妻や娘) に対する家庭内暴力を法的措置によって是正することは不可能に近い。警察は往往にして女性の被害者に対し、たとえ加害者がガーディアンであったとしても、苦情や保護を受けつける際にはガーディアンの許可を求めている。

ある病院で、夫に銃で撃たれ2度入院した女性がいた。それでも警察は夫 (ガーディアン) の許可がなければ事件として扱えないと説明した。この女性は3度目に撃たれて入院し、そのまま病院で亡くなった。

家庭内暴力を犯罪とする法律については未だに立法化されておらず、ガーディアン制度がある限り、常に女性と子供が暴力の危険にさらされていると言わざるを得ない。サウジアラビアで唯一の独立した (と解釈できる) 人権団体の代理人によれば、父親など家庭内暴力の加害者となった男性からガーディアン権限を剥奪することは、この団体が扱う諸問題の中でもっとも難しい法手続きをともなうものであり、これまでにそれが成功したケースはわずか1~2%だけである。父親が娘に性的暴行を加えていたケースでは、ガーディアンを剥奪するまで裁判に5年の歳月を費やした。

5人の娘に性的暴行を加えていた父親のケースでは、娘の1人が耐えかねて警察に相談に行ったが、それを正式に受け付けるためにはガーディアンの同行が必要だと説明され、娘はあきらめて家に戻るしかなかった。この国では暴力から女性を守る法律がない。毎日こういった事件は発生している。病院ができることは治療行為だけである。

また、男女分離政策は、女性が警察に駆け込むことを躊躇させている (警察官は男性ばかりである)。女性が家から警察に電話することさえ、ガーディアンがいない場合は躊躇せざるを得ない。女性がガーディアンなしに警察に歩いていくことなど、実際には無理である。

法の下に男女が平等であることの否定

世界中のほとんどすべての国の政府は、未成年者および精神的な問題がある者についてのみ、自身で物事を判断し決定する権限を与えていないが、サウジアラビアでは、政府はこの制約をすべての女性に適用している。

そのため、サウジ女性はガーディアンなしには裁判所などへアクセスすることさえできない。裁判所は、女性の証言は犯罪の証拠として認めていない。ある女性は、裁判所で女性が声を発することは恥ずべき行為であると戒められたそうである。サウジアラビアの法廷では、通常は付添人が女性の代わりに発言をしている。

法務省は、もし女性がベールで顔を完全に隠していれば、裁判所に出廷し証言することができるとしている。裁判官によってもまちまちだが、女性が証言する時は大声を発したりあまりにも女性的な雰囲気で話すことは慎むべきだとされている。

サウジアラビアの裁判所では、全身を黒い外套で包んだ女性が確かに当人であるかを確認するため、男性が付き添わなければならない。これは女性がIDカードを出すだけではだめである。裁判官によっては、女性は信頼性に欠けるためそもそも証言の能力がないと考える者もいる。

ガーディアン制度は、法的なパラドックスを抱えている。女性があらゆる違法行為に関与できるとしながら、女性には一切法的な責任能力が与えられていないのである。実は、サウジアラビアは女性の犯罪責任について下限年齢を設けていない。

女性が加害者となる犯罪事件において、その少女が何才から大人とみなされるか法的に定められてない中、宗教界は殺人事件については思春期 (12才) が大人の境目であるという見解を示している。

サウジアラビア政府が、生涯を通じて女性に対し何一つ自ら決定する権限を与えていない状況において、思春期という低年齢時に、彼女たちに行動の責任を負わせることが果たして正しいことなのだろうか。

「女性が犯罪を犯せば男性と同じく責任を問われる。しかし女性が自分自身のことや経済活動を行おうとすれば、それはできない」ある女性はこのように嘆いた。

身分証明書類

サウジアラビア政府が女性に単独のIDカードを発行するようになったのは、2001年からのことである。それ以前は、女性は父親か夫のファミリーカードの下に登録されていた。法律では、15才以上のすべてのサウジ男性がIDカードを取得することになっているが、女性用IDカードは今でもオプション扱いで、取得にはやはりガーディアンの許可がいる。

また、ガーディアンの反対によってIDカードを持てない女性もたくさん存在する。最近、内務省がガーディアンの許可を不要にしたとも聞くが、今のところHRWはそれが明文化された書類を見ていないし、現実に今も女性はガーディアンの許可を求められている。

宗教警察は女性に対して、公共の場では全身を黒い外套で包み隠すよう強制しているが、IDカードの顔写真は警備上の都合でちゃんと顔を出している。役所の手続きに出かけた場合、女性専用セクションがない場所では女性は顔をさらすことができないので、当人かどうか証明する付添人が必要である。

そもそも、役所では女性のIDカードをほとんど受け付けていないのが実情である。結果、どんな場合でも、女性が当人であると証明する付添人がいなければ万事が進まない。

顔を隠した女性を当人だと証明する付添人は、社会のあらゆる場面で求められる。たとえば携帯電話ショップも、ガーディアンがいなければ女性に電話を売ることは禁じられている。女性がIDカードを取り出し、ベールをはずして顔を見せても、店員から拒否されてしまう。IDカードがIDとしてまったく認知されていないのである。

離婚女性および未亡人が直面する問題

離婚した女性や、夫を亡くした女性に対する法的な保護が欠如しているため、夫に代わる協力的なガーディアンを得ない限り、彼女たちがサウジアラビアで生きていくことには大変な苦労がともなう。

日常生活のあらゆる場面でガーディアンは必要であり、社会的・経済的困窮は彼女たちに恐ろしい決断を迫る時がある。ある女性は、それを解決するため望まない結婚をした。そして、「私は自分の体を売った。尊厳は傷ついたけど、これで生活は元通りになる」 と娘に話した。これを聞いた娘はショックを受けたが、現実を考えれば母を責めることはできなかった。

当局では、こうした女性たちのガーディアンは通常もっとも近い親族が引き継ぐものとしている。サウジ男性と結婚し、サウジ国籍を取得した外国人女性については、ほとんどが本国に帰るしかないが、子供と離れたくないためガーディアンなしでサウジアラビアに残る者もいる。

彼女たちがIDカードの取得や配偶者用から独身者用パスポートへの切り替えを行うためには、いずれも離婚した夫の許可が必要である。しかし、こういった外国人女性はサウジアラビアの社会システムからは逸脱した存在で、「好ましからざる人物」と考えられている。

女性の移動の自由の否定

世界中のどの国も、サウジアラビア以上に女性の移動を制限している国はない。内務省は、ガーディアンの許可レターを持たない女性を飛行機に搭乗させることを禁じている。女性がガーディアンなしに旅行する時は、イエローカードに旅行回数と日数をガーディアンの承認のもとに記し携帯しなければならない。

また、女性はパスポートを申請する時もガーディアンの許可が必要である。女性と子供は旅行する際、事前に旅行ビザを外務省から取得しなければならないが、それにもガーディアンの承認が必要である。

銀行で5年働き、経済的には完全に自立している35才のある女性は、仕事でジェッダやダンマンに行く必要があっても、ガーディアンの許可がなければ一切できないと不満を漏らした。夫が亡くなり、自分の息子がガーディアンになった女性もいる。

息子は遠く離れた町で働いているため、母親が旅行をするたび実家にかけつけ許可レターを書いている。また、45才以下の外国人女性巡礼者は、ハッジ (巡礼) に際して男性の親族を付添人として同行しなければならない。

女性の運転の禁止

サウジアラビアは、世界でも唯一女性の運転を禁止している国である。この規制は、公共交通機関の貧弱さと相まって、サウジ女性が社会活動に参加することの阻害要因となっている。なお、政府は公式には禁じていないと言うが、女性ドライバーが一人も存在しない現状では、それは禁止されているのと同じである。女性の運転に関する宗教界の見解 (ファトワ) は次の通りである。

「女性に対し運転が許可されていないことは疑いの余地がない。女性の運転は、女性が保護者なしに男性の中に入っていくことであり、様々な恐ろしい結果を招く。また、禁じられている凶悪な犯罪を招くのである」

1990年11月6日、47人のサウジ女性がリヤドのある駐車場で車を運転し、女性の運転解禁を訴えた。すぐに交通警察が彼女たちの行動を止め、全員警察署に連行されたが、ガーディアンが警察に出頭し 「二度と運転はさせない」 という誓約書を書いた後に釈放された。

中には公務員もいたが、彼女たちは政府事務所における職務を停止され、パスポートは没収、新聞記者に一切しゃべらないと誓わされた。ある者は、3年間に渡り職務を停止させられた。当時のデモに参加した一人の女性は、あの後に昇進のチャンスが何度も意図的につぶされたと語った。

結婚における男女平等の否定

サウジアラビアでは、結婚はイスラム法に基づくある種の契約である。女性には自由に結婚を決める権利はなく、ガーディアンの許可が必要である。結婚は、女性の意志ではなくガーディアンの意志によって決めることができる。

ただし、女性の意志を確認することが勧められている。2005年4月、宗教界からも、イスラム法の下では女性が望まない結婚はさせるべきではないというコメントが出された。しかし、現行の法律においては、女性の意志を顧みずその結婚に固執するガーディアンの意志を、法的に止めることはできない。

最近のケースでは、ファティマの一件が新聞の紙面を賑わせた。34才のファティマは、亡くなった父に代わりガーディアンとなった異母弟によって、夫のマンスールと強制的に離婚させられた。

この弟は、マンスールが姉に求婚した時から、彼の部族が自分たちの部族よりも序列が低く、一族としてふさわしくない結婚であると考えていた。この件が地元の裁判所に持ち込まれた時、ファティマのお腹にはマンスールの子が宿っており、ファティマは離婚したくないと訴えた。

しかし裁判官は弟の主張を認め、2005年8月、二人に離婚を命じた。ファティマの属するアザーズ族にとって、マンスールのティマニ族は階級が低すぎ、社会的に釣り合わないことが決定打となった。

裁判所の判決を受け、サウジアラビア東部州の役所も二人を引き離すことを支持した。弟の元に戻ることを拒否した彼女は、しばらくの間ダンマンの留置所に拘束されていたが、2006年4月、彼女は違う留置所に移送された。

2007年2月、ある女性グループが国王宛に二人の離婚判決を再審議するよう嘆願書を提出した。嘆願書の中には、ガーディアン制度の見直しについても申し立てが記されていたが、政府はこの嘆願書に対して正式な回答をしていない。サウジ人権委員会は国王に対し何度も陳情しているが、同時に、イスラム法学者に対してこの判決が違憲か合憲かの論証を急がせている。

子供の保護者である権利の不平等

サウジアラビア政府は女性からあらゆる決定権を奪っているだけでなく、自分の子供のガーディアンになることも許していない。夫婦が離婚した場合、男子は9才、女子は7才以上であればガーディアンは自動的に夫になる。

このケースにおいては、離婚が夫の非によって生じたものであると裁判所が判断すれば、母親は子供を引き取ることができるものの、子供たちの法律上のガーディアンは別れた夫であるため、その後何年間も子供たちは何事につけ彼に許可を請わねばならない。

たとえば子供たちに銀行口座を開いてあげたくても、母親は何もしてやれない。学校の入学もそうであるし、母親が子供たちと旅行をしたい時にも、前夫の許可証が必要となる。わが子の出生証明書ですら母親は単独では取得できないし、子供の銀行口座にお金を積み立てようとしても、そこでも法律上のガーディアンである離婚した夫の許可が必要となる。

このケースの実例として、夫と離婚した後、11才の息子と一緒に暮らしていた母親に起きた出来事がある。2006年12月、医師の薦めにより息子に簡単な手術を施すことを決めた母親は、前夫にガーディアンとして許可を出すよう願い出たが、前夫はこの手術は必要ないと拒否した。

母親は手術を実現するため、法務大臣とリヤド州知事に陳情書を送った。州知事オフィスは当初「何もできることはない」と言っていたが、2週間後、州知事 (サウド王家プリンス) から手術の許可証が送られてきた。

保健省のガイドラインには、子供の手術にあたっては両親のどちらでもゴーサインを出すことができると規定されている。しかし実際には、父親のものしか認めない医師もいる。法は整備されているが、それを実行する医師たちが法の遵守を妨げている状況である。この点について、医師たちを啓蒙する必要がある。

政府は、責任ある男性が存在しない場合に、女性が未成年者のガーディアンになることができる特例を設けている。ある30代の女性は、10代の二人の異母妹のガーディアンとして法律上も登録されているため、男性ガーディアンと同等の行為が可能である。

しかし、自らのガーディアンは叔父であるため、経済的に独立しているにもかかわらず、自身のことについては何一つ決定権限を持たない。これもまた矛盾のひとつである。