A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

サウジアラビアの生活まとめ2

(サウジアラビア再赴任)

リヤドの変貌ぶり

10年ぶりに再び住むことになったリヤドですが、当時と比べていろいろな変化に驚きました。そんなあれこれ。

インターネットが解禁になり、さらに常時接続が主流に。我が家も常時接続&無線LAN。と言ってもせいぜい500kbpsと低スピードですが。ただし、色っぽいページ、ファイル共有やWarezサイトはブロックされて見ることができません。

あとなぜかLivedoor系のページもダメだったりします。YouTubeが (色っぽいもの以外は) 観られるのもナイス。1995年頃、パリのコンピュサーブに国際電話をかけ、そこ経由で日本のニフティサーブにログインして、細々とメールのやりとりをしていたことを思うと隔世の感が。

市内に大型ショッピングセンターがたくさんできました。ここ2、3年のことだそうですが、その様はドバイ並みと言っても過言ではありません (いや、過言か)。実際、一時は中東一大きなショッピングセンターもありました (すぐにドバイに抜かれたそうですが)。

11年前とは比べものにならないくらいの激変です。あいかわらず女性は運転禁止だし、外出するときは黒い外套 (アバーヤ) を羽織って出かけなければならない窮屈さはありますが、少なくともショッピングでかなりのストレス発散が出来るんじゃないでしょうか。税金もないからブランド物も安いし。

携帯電話が解禁されました。プリペイドカード式なら誰でも簡単にその場で買えます。もともと「最大の娯楽はおしゃべり」とまで言われていたサウジ人のこと、今では携帯電話は最も生活に欠かせないアイテムになっています。

スーパーマーケットが巨大化しました。ラインナップは当時とそれほど変わっていませんが、お寿司パックなども売っていて驚きました。野菜は確実に種類が増えているし、東南アジアの果物や栗、それに魚もどーんと陳列されているので、スーパーに行くのが今一番の楽しみです。

また、牛乳やヨーグルトなど乳製品が日本より美味しいのには改めて驚きました。みんな濃厚です。さすが遊牧民の国。乳製品の取り扱いは数千年の歴史がありますから。

空港の入国審査が瞬時に終わるのには、もう本当に驚きました。「えっ、いいの!?」と何度も係官の顔を見てしまったくらいです。昔は1人10分くらいかかっていて、10人並んでいたら「1時間コースだな」とあきらめていましたから。

税関の荷物検査も、X線検査機が導入されたのでスーツケースを開けることはほとんどありません。もちろん、液体やCDなどが大量に入っている場合は、その場で開けられて係官の検査を受けます。

昔は本当に厳しかったです。荷物は当然すべて開けられ、隅から隅まで見られるのはもちろん、しょう油・味噌はアルコール分が入っているから没収、ラーメンはポークエキスが入っているから没収、週刊誌にはグラビアやビールの広告があるから没収・・・(普通はページを破いて持ち込み)。

ビデオテープはすべて一時預かりの上検閲、そして多くは没収。しょう油せんべいですら冷や冷やしながら持ち込んだものです。なんだか逆にあの頃が懐かしい。。

交通量がめちゃめちゃ増えました。毎日夕方になると渋滞します。もちろん、これくらいで渋滞なんて言っていたら日本の生活はできませんが、それにしても当時と比べたら本当に車が増えました。

さらに、カローラなど小型の車がとてもたくさん走っています。昔はサウジ人といえばまずアメ車、その他がベンツかBMW。日本車に乗っているサウジ人はかわいそうだと思っていました。サウジ人のタクシー運転手が増えたのも隔世の感が。

昔から外国人は、200戸~400戸の住宅を塀で囲み、アラブ人をシャットアウトしている外国人用住居に入ります。プール、ジム、ミニスーパー、買い物バスなどの施設があり、コンパウンドに住めば、旦那さんが不在中でも生活に困ることはありません。

当時からセキュリティーはちゃんとしていましたが、2003年にそんな外国人用コンパウンドを狙った自爆テロが発生して以来、どのコンパウンドも入り口に装甲車を置き兵士による厳重警備を行っています。昔と違って外部の車は入れなくなり、そのものものしさは住人ながらちょっと引いてしまうほど。

航空代理店がたくさんでき、価格競争が始まりました。大変良い傾向です。エアラインオフィスでは、航空券がEチケットになりました。先日、キャセイパシフィックもインターネットで予約、支払いできました。市内にはインターネットカフェが無数にあります。

カフェといえば、スタバとシナボンがあってちょっと感動しました。コンピュータ屋も充実しています。ノートパソコンもDellやAcerなど最新型が売られていますが、VAIOのType U、さらにMacの周辺機器 (モデムとか) も売っていて、日本の地方都市よりよほど発展していると思いました。

最後に、気候がほんの少し穏やかになったような気がします。そんな気がするだけですが。この年の日本の夏が異常に暑すぎたからかな。もうひとつ、若者が激増したので、町の空気もほんのちょっと自由な感じに、、いやなってないか。。

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サウジアラビアの結婚披露宴

久しぶりにサウジアラビア人の結婚披露宴に出席しました。あらためて、日本とは随分やり方が違うなと。まず、式は必ず夜です。今回は夜8時スタート。今は冬なので最後の礼拝が7時過ぎに終わりますから、礼拝を終えて集まるには丁度良い時間です。

招待状はたくさん出しますが、出欠の返事は特に求めません。来る者は拒まず、来た人はすべて出迎えるというスタイルです。男女は入り口が別々で、違うホールに入ります。女性の方は写真厳禁で、カメラやカメラ付き携帯は入り口で預けるとのこと。ということで、これは男性会場のレポートです。

会場は広々していてソファーがたくさん並べられていました。200人以上座れるでしょう。夜8時にはすでに30~40人いましたが、時間がたつにつれだんだんと人が増えていきました。一番奥に新郎とその父親が立ち、来客を出迎えます。

ご祝儀はなし。自分も新郎と握手を交わし、手短にお祝いを伝えただけでした。あとはソファーに腰掛け、お茶を飲みつつ周囲とおしゃべりしながら、ご飯が出るのを待つだけです。

しかし今回は、うれしいことに友人たちが新郎の前で踊りを披露してくれました (歌いながら花いちもんめのような動きをする)。今までで一番披露宴らしかったです。普通は何もありませんから (女性会場は楽隊が入りみんなで歌い踊るらしい)。

夜10時、会場がほぼ満員になると、大きな扉が開かれ、隣のダイニングホールに移動するよう促されました。そこには8人掛けのテーブルがたくさん並べられていて、なんとそれぞれにヒツジの半身がどーんと乗っかった大きなご飯の盆が置かれていました。

なんとも豪勢な食事です。というかちょっと無駄…?。どうせみんな残すんだからこんなに奮発しなくても、とついつい考えてしまいますけどね、日本人は。しかしヒツジのカフサは美味しかった! うちのテーブルのヒツジは頭がついていたので、柔らかい頬肉に舌鼓を打ちました。できればお皿が欲しかったですけど (みんな手で食べる)。

食事が終わると、男性チームはもう何もやることがありません。ここでお開き、三々五々、会場を後にしました。時間は夜10時50分。この時、女性会場には未だ新婦が到着していなかったそうです。女性チームは一体何時に終わったんでしょう。

女性はみんな派手なドレスで着飾っているそうですが、こればっかりは男の自分は見ることができません。なお、新婦到着後に、新郎は女性会場に連れて行かれ、みんなに品定め(?)されるのがお決まりだそうです (女性たちは一斉にベールをかぶる)。

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恵みの雨が・・・

2008年11月3日、半年ぶりに恵みの雨が降りました。ただし天の神様ががちょっと奮発しすぎたようで、職場のゲートを出てすぐの交差点もご覧の通り完全に水没してしまいました。

ちょうど帰宅ラッシュと重なったため、リヤドはあちこちで交通が麻痺。ちょっとしたパニックでした。いいかげん道路に側溝を作ればいいのに。

夕方にも激しい雷雨が降ったし、土地が低い南のダウンタウンの方は相当深刻な被害が出ているでしょう。

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最悪の砂嵐

2009年3月10日、午前11時頃、それは突然やって来ました。この1年で最大級の砂嵐です。しかも、よく晴れた青空がほとんど一瞬にして砂に覆われました。

気持ちの悪いことに、あたりは薄暗いオレンジ色に染まり、まるで異空間に迷い込んでしまったかのようでした。

砂嵐には慣れっこのサウジ人もさすがに薄気味悪そうにしていて、窓の外を呆然と眺めつつ「ヤー、アッラー (あぁ、神よ)」などとつぶやく人もいました。

1枚目はオフィスの外でその時撮った写真。色補正はしていません。なんとも不気味な色です。2枚目は翌日の新聞に載ったもの。こんな感じで砂嵐が来たら、確かに一瞬で景色が変わるわけです。

空港の飛行機の離発着も停止されたそうです。写真を見ているだけで砂の臭いを思い出して頭が痛くなります。

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サウジがますます金持ちに

アラビア湾岸産油国の中では断トツの原油埋蔵量を誇るサウジアラビア。昨今の原油価格高騰を受け、先進各国の石油離れ、代替エネルギー開発の加速を懸念するサウジアラビアは、2,642億バレルという莫大な確認埋蔵量をもとに市場への供給量を確保するため増産を続け、なんとか原油価格の上昇に歯止めをかけようとしています。もちろん、それにもかかわらず原油価格は上昇し続けているわけですが。

一昔前は、サウジアラビアの原油生産は日量800万バレルと言われていましたが、最近の統計を見ると、なんと日量1,100万バレルまで増加しています。このところ原油価格は毎日のように史上最高値を更新しており、今日は1バレル94ドルにまで上昇しました。サウジアラビアは1日で1,034,000,000ドル(10億ドル=1,150億円)もの金を稼いでいるわけです。1年365日なら実に42兆円です。10年前は800万バレル×15ドル×365日=5兆円ですから、もう景気が良いどころの騒ぎではありません。

その上、現在の確認埋蔵量からすると、日量1,000万バレルで掘り続けても70年以上持つ計算です。まだまだサウジアラビア王国は安泰ということでしょうか。公務員の給料も上がりっぱなしだし。(注:ただし物価も上がっているので庶民の生活はそれほど楽ではないそう)

サウジで親知らずを抜きました

2週間前、左側の奥歯が上下とも痛くなりました。3日我慢しましたが、結局耐えきれず歯医者へ。診断は、虫歯ではなく親知らずが歯を圧迫しているため痛みを感じるとのこと。レントゲンを見ると、左の上下だけでなく、右上の親知らずもそろそろ横の歯に悪影響を及ぼしそうなポジションにありました。「3本まとめて抜きましょう」 フィリピン人の女医さんにそう提案されたので、ちょっとびっくりして「私の国(日本)ではたぶん1本ずつ時間をおいて抜くと思いますけど、どうでしょう?」 とおそるおそる質問をしました。「1度に抜いてしまった方が良いのです」 彼女は自信に満ちた表情できっぱりと言いました。ただ、その歯医者で一番腕の良い、というかたぶん力仕事担当の医者が予約でいっぱいだったため、10日後のオペを予約しました。結局その日は痛み止め薬の処方箋をもらっただけです。

さて、そして今日(27日)、本当に親知らずを3本いっぺんに抜いてきました。担当医は白人男性(アメリカ人?)。最初から最後まで軽快に話し続けていました。数年前に日本で右下の親知らずを抜いたときは、「なんかゴリゴリやってるなぁ、早く抜かないかな」と思ったときにはもうすでに抜かれていたので、痛みも苦痛も全くなく、「さすがは日本の歯医者」と感激しました。さて、サウジアラビアはと言うと…。

まずは麻酔注射。日本に比べたら一見してなんか太いし、やはり刺されたときに「ビクッ」とするような痛みが何度もあって、この先の難工事(?)が大いに予想されました。それと、左にはこれでもかというくらい麻酔を打ったのに、右側は「あれっ?」と思うくらい少なめだったのにも、ますます不安をあおられました。「最初に一番ハードなのをやろう」 医者は軽快にそう言うと、まっすぐその手を左下の親不知に伸ばしていきました。

まず何度か歯をグリグリした後、どうにも頑丈そうなのか、「よし、砕いて取ろう」とまたも軽やかに言うのですが、それを聞いているこっちはもう泣きそうでした。歯を削る器具が口の中に入り「チュイーンンンン」というこの世で最も聞きたくない音が脳内に響き渡り、歯を削る時独特のニオイが立ちこめます。。削って、砕いて、むしり取る。そんな作業をしばらく続け、時々歯の付け根の辺りにビシッと鋭い痛みを感じながら、ようやく1本目を抜き終わりました。「オーケイ、ガリッ!! (OK, I got it)」とまたまた軽快に言うものですから、なんだか「チクショー!!」という気持ちになりました。

手早く傷口を糸で縫うと、間をおかず左上に取りかかりました。確かに下の歯よりは手間はかかりませんでしたが、「抜けたかな?」「え、まだ?」「今度こそ抜けた!?」「やっぱりまだ!!??」というのが何回か繰り返され、精神的にヘトヘトになりつつありました。そうして左上もようやく抜けると、いよいよ麻酔に若干の不安が残る右上に取りかかりました。ただでさえ歯医者の麻酔は「すぐ効いてすぐ切れる」印象があります。ここまで来るのにけっこう時間がたっていました。やはり最初の2本に比べ、器具を歯にあてている感触が鮮明に感じ取れます。「おいおい、麻酔はちゃんと効いているのか!?」とかなり心配になりましたが、最終的には「痛い!!」と思ったのはほんの一瞬だけでした(日本では一瞬たりとも痛みは感じないような気もしますが…)。

医者の「No more wisdom teeth(もう親知らずは1本もないね)」というにこやかな言葉でオペは完了。正味40分。あぁ、無事で良かった…。その後、帰宅して麻酔が切れた後に焼けるような地獄の痛みが待っていましたが、6時間ほどたった現在、痛み止めが効いてきたのか、頬のしびれと疼痛程度におさまっています。日本に比べたらめちゃめちゃ荒っぽいという印象はありますが、まぁ、これがエチオピアでなくて良かった、というのが最大の感想です。歯医者なんて所詮痛いものだし、サウジだから「仕方ない、抜こう」と思いましたが、エチオピアだったら「仕方ない、抜きに海外に出よう」と考えますから。

何はともあれ、まずは一件落着。サウジで親知らずを抜いて病院に1泊した人に比べたら(しかも請求額がすごかったらしい)、何の問題もなくあっさり終わってしまったという感じです。とりあえず今は水を飲むのもつらいですが…。

中学生以来の坊主

床屋に行きました。リヤドはこの頃寒くなっていっそう静電気がひどくなり、ここ1、2週間服を脱ぐたびにバチバチッと髪の毛が逆立ちうっとおしくて仕方ありませんでした。もうひとつ、明日は誕生日なので、「とりあえずサッパリしとくか」みたいな感じもありました。店に入って散髪イスに座ると、インド人の床屋に「ベリーショート、トップで2センチ」と簡単に伝えました。もともと細くて柔らかい髪質なので、これくらい短くしないと静電気の不快感がなくならないと思ったからです。

すると床屋は、「4センチと1センチのアタッチメントがある」と言いながらバリカンを指さしました。実はメガネをはずすとほとんど見えないので(視力0.1)、「4センチかぁ、ちょっと長いけど、まぁいいや、じゃ、トップ4センチ、サイドとバック1センチで切ってくれ」と伝えました。床屋はまずサイドとバックを簡単に刈ってから、アタッチメントを取り替え、おもむろにトップに刃を入れました。すると、バサバサッと意外なほど大量の髪の束がエプロンに落ちてきました。

「ちょっと待って!」 床屋の動きを制止し鏡を凝視しましたが、日没近い店内は薄暗く、自分の視力では顔がまったく見えません。あわてて右手を伸ばし頭をさわると、どう考えても4センチの長さはありませんでした。「これ4ミリでしょ?4センチって言ったのに!」 思わず声を荒げると、床屋はちょっと困った顔で、「4センチ (のアタッチメント) はないよ、4ミリだよ」と言います。「あなたは4センチと1センチがあるって言ったんだよ、センチとミリ、違うでしょ!?」 こちらの剣幕に圧倒されたのか、床屋はただ困った顔をするばかりでした。

それからひとしきり床屋に文句を言いましたが、もう彼の思考回路は完全に停止していました。「4センチはないよ、4ミリしかないんだよ…」 床屋は泣きそうな声でつぶやき続けました。別の客が入ってきたのでもう声を出すのは止め、イスにどかりと腰を下ろし、「さて、どうしたものか」と考えました。もちろん、結論は1秒で出ました。もうどうしようもありませんから、あとは4ミリの丸坊主になるだけです。「いいよ、もう全部4ミリにしてよ」 ぶっきらぼうに伝えると、ようやく床屋はほっとした表情になりました。

というわけで、中学生以来の坊主です。せめて1センチだったらまだなんとか…。いや、最初に1センチと言っていたら、きっと1ミリの坊主になっていたな…。

夜型はお店のせい?

サウジアラビアでは、礼拝の時間にはレストランや店舗が閉められ、30分ほど出入りができなくなります。1日5回の礼拝のうち、普段の生活に特に関係あるのが日没の礼拝(マグリブ)と夜の礼拝(イシャー)です。今はそれぞれ5時20分と6時50分。夏期は日が延びるのでそれぞれ6時半、8時くらいまで遅くなります。礼拝が始まるとレストランからは出られなくなり、その他の店舗からは外に追い出されます(一部の大型スーパーマーケットでは買い物の続行は可能、レジは止まるので外には出られない)。

そのため、夕方の買い物はとても時間に気を遣います。うまく計算しないと、入りたい店に入れなかったり、出たいのに足止めをくらったりと、ストレスがたまって仕方ありません。時間を気にせず存分に買い物をしようと思ったら、やはりイシャー、つまり最後の礼拝が終わってから出かけるのが手っ取り早い方法です。おそらくサウジ人もこんな考え方の人が多いのか、どの店も夜9時を過ぎてようやく活気が出てきます。道路が渋滞するのは朝夕の通勤ラッシュアワーではなく、断トツに夜の買い物時間帯です。

サウジアラビアでは、女性は車の運転ができません。また、家族以外の男性と同席することは御法度ですから、女性だけでタクシーを利用することもあまり勧められていません。なので女性が買い物に行く場合は、夜、家族揃って夫や父親の運転で出かけるパターンがほとんどです。週末ならまだしも、平日からこんな家族でにぎわう深夜の店舗を見ると、他人事ながら心配になります。普段夜型の行動をしている子供たちは、昼間ちゃんと学校で勉強できているのでしょうか。もちろん、夏期 (4~9月) は日中の酷暑がありますから、どうしても夜型の生活リズムになるのはわかりますが、そのパターンが冬の間も続いてしまうのはいかがなものでしょう。

こう考えているのは、自分だけではありませんでした。現地現地紙によれば、商業店舗の営業時間を短縮する法律が承認される見込みとのことです。この法案は労働省によって提出されたもので、24時間営業の許可を持っている特別店舗を除き、全ての店舗は夏期は夜11時で、冬期は夜10時で営業を終えるよう定められています。ただし、マッカとマディーナはその限りではなく、またラマダン (断食月) 中の営業は各地の官憲に任せるなど、一部例外もあります。また、レストラン、喫茶店、遊園地などは、夏期は夜12時まで、冬期は夜11時までとされています。

違反した場合、店舗の売り場面積に応じて3000~12000円までの罰金が科されますが、案外低い設定金額ですね。諮問委員会のメンバーの1人は、「これまでサウジアラビアで制定されたどの法律よりも素晴らしいものだ」と語っています。「これで人々は家族の元に帰り、夜の静けさが戻ってくるだろう」とも言っていますが、一般庶民はどう考えるのでしょうね。だったら礼拝中にも店を開けるようにしてくれ、と思っている人は多いんじゃないでしょうか。夕方は落ち着いて買い物ができないのが現実ですから。

ちなみに、サウジアラビアは木・金曜日が週末の休みです。しかし、昔と違って世界を相手にしたビジネスが普通になっていますから、土日が週末である欧米・アジア諸国と、木・金・土・日の4日間も双方でコミュニケーションが取りづらい現在の状況は、時勢に合っていないという考え方が主流になってきました。実際、アラブ首長国連邦など周辺諸国は、次々に週末を金・土に変えています。遠からず、サウジアラビアも週末は金・土になるのではないでしょうか。

マッカは1坪1億円!?

サウジアラビアの、いや、世界のイスラム教徒にとって最も重要な聖地であるマッカ (メッカ)。当然、そこに居を構えたい人はごまんといるわけで、もともとマッカの地価は世界的に見てもかなり高い方だと言われていました。そして、先に発表されたマッカグランドモスク北部開発計画を受けて、マッカ中心部の地価がさらに高騰することが懸念されています。アナリストは、1㎡、100万リヤル (3000万円) を越えるだろうと予測しています。この計画は今月初めに国王により承認されましたが、300,000㎡の開発区域には古くからの市街地もあり、それらを取り壊すため、ビルや土地の所有者に対し総額60億リヤル (1800億円) の補償金を政府は用意したそうです。

このように地価が高騰すると、それは巡礼者用の宿泊施設の料金値上げにつながりますから、東南アジアなどから来る巡礼者にとっては厳しい話です。また、開発によって取り壊されるシャーミーヤ地区は500年の歴史を持ち、そこに住む有名な一族たちも、新たな居住地を探さねばなりません。Hashim、Tayeb、Kurdi、Jifry、Yamani、Dahlan、Dahlawi、Zahid、Mufti、Fatani、Ghazawi、Hariri、Kattan、Basarawi、Iraqi、Abu Mansour、Ojaimi、Rushaidi、Qusti、Shatta、Abu Al-Naja など、聞き覚えのあるファミリーネームが目白押しです。

サウジ航空博物館

リヤドの航空博物館 (Aviation Museum) に行ってきました。C-130やF-15を目の当たりにして、当時熟読した「エリア88」を思い出し熱いものがこみ上げてきました。DC-3の操縦席では操縦桿を動かしたりスイッチをパチパチしてつかの間のパイロット気分に。こんなのを飛ばしたらそれはそれは気分が良いでしょうね。

サウジアラビアのガソリン代

日本ではガソリン代がまた大変なことになっていますが、ここサウジアラビアは産油国だけあってレギュラーガソリンが 1リットル=13円 (0.45リヤル) です。日本の10分の1以下ですね。満タンにしても500円くらいですから、日本から来たばかりの頃は、お金を払う時に「えっ、そんなに安くていいの?」といつも首をかしげながら払っていました。逆に、日本に帰ったら今度はショック倍増でしょうね。

サウジではミネラルウォーターが500mlボトルで28円 (1リヤル) ですから、いかにガソリンが安いかがわかります。そんなサウジアラビアですが、若年人口の爆発的増加もあってガソリン生産が追いつかず、今は外国からガソリンを輸入しているのだとか。現在建設中の石油精製施設が完成すれば、国内需要はすべてカバーできるとのことですから、そうしたらまた安くなるんでしょうね。うらやましい。

サウジアラビア人で働いているのはたった2割!?

サウジアラビアでは、未だ信頼に足る国勢調査が行われていないようです。内外にいろいろな情報は出ているのですが、ソースによって値がまちまち、いまひとつどれを信用していいのかわかりません。だいたい途上国であればあるほど統計が定まっておらず、むしろ政府発表が一番信用できないなどという声も聞いたりしますが、サウジアラビアについてはそこまでいい加減ではないと信じたいところです。ただ、今のところ国民から税金を徴収する予定もないし、それほどシビアにやる必要がないのかなと想像しています。それにしても、有名どころでアメリカ国務省の CIA World Factbook あたりと比べると、数字にけっこうな開きがあります。以下、SA=サウジアラビア政府、US=CIA、JP=日本外務省です。

2007年総人口 (推計)
SA: 23,980,000人 (うち外国人 6,490,000人)
US: 27,601,038人 (うち外国人 5,576,076人)
JP: 24,000,000人 (うち外国人 6,140,000人)

とりあえずここではサウジ政府の統計表を信じるとして、その中で特に就業人口が目をひきました。統計によれば、就業人口の比率 (サウジ人/外国人/サウジ人のみの総人口) は以下の通りです。

2000年: 2,727,500人/3,273,600人/14,830,000人
2007年: 3,584,700人/4,181,600人/17,490,000人

つまり、仕事に就いてるサウジ人は2000年で18.4%、2007年で20.5%。国民のうち働いているのはたった2割です。日本の労働力人口は6,704万人で全人口の52%、うち就業者は6,429万人なので、日本人はちょうど5割の国民が働いていることになります (男女比=58:42)。もちろん、サウジアラビアも外国人労働者を含めれば就業人口としてはそれなりにつじつまが合うし、女性の就業人口がほぼゼロということを考えると、サウジ人男性の失業率がそれほど極端に高いわけではないと思います (おそらく10%以下でしょう)。

お金の力で他人をこき使い、自ら働く必要がないのだとしたら、それはある意味ユートピアなのかもしれません。しかし、それが果たして国家として健全な姿なのか、あるいは人として正しい姿であるかと問われれば、うーん、どうなんでしょう。勤勉は美徳であるとたたき込まれた日本人には、ちょっと理解しがたい世界ですね。

砂漠の円形農場

グーグルアースでサウジアラビアを上空から見てみると、やはり砂漠に浮き出る円形農場が目を引きます。赤い砂丘に飲み込まれそうな場所にあるものは、見ているこちらが心配になってきます。意外なことに、縦横きちんと並んでいる畑は少数派で、どの畑も相当乱雑に並べられています。この方が密度が高いのかなとも思いますが、畑同士があまりにも近すぎて、中には大きな畑が360度の円を完成できず270度止まりで、となりの小さな円にかぶりついているパックマンのようになっているものもあります。見ている分には楽しいですけどね。ただ、今年になってサウジアラビア政府は、貴重な水を大量に使う小麦生産をやめる方針を決定しました。緑に輝く円形農場を見られるのもあと数年だけになりそうです。

フィリピン人に感謝せよ

最近、サウジアラビアの現地紙では 「外国人労働者にもっと感謝して丁寧に接しなさい」 という論調の記事が多いのですが、この社説はフィリピン人に特化した記事を載せていました。

ジェッダで花屋を営むムハンマドは、引き留めの説得もむなしくフィリピン人スタッフが国に帰ってしまったため、店をたたむことを真剣に考えました。しかしその後、意を決してマニラまで出かけ、なんとか優秀な人材を見つけることができたため、店を存続することができました。「彼が去ってしまった時、私は両腕をもがれた気分で、一時は仕事をする気力をなくしたよ」 とインタビューに答えています。ムハンマドは過去に別の国のスタッフを雇ったこともありましたが、一度フィリピン人を雇ってしまうと、他のどの国籍も見劣りがしてしまうそうです。

フィリピンにとっても最大の出稼ぎ国であるサウジアラビアは、100万人以上のフィリピン人が働いています。2006年だけでも22万人のフィリピン人がサウジアラビアに渡ってきました。フィリピン人は世界中で働いていますが、特に船員の世界では全体の20%にあたる120万人がフィリピン人なんだそうです。もしフィリピン人がストライキを決め込んだら、海上輸送から何から、世界は相当な混乱に陥ってしまうでしょう。

フィリピン人の強みは、まず英語ができること、そして低年齢時から職業訓練 (職業意識の醸成) を受けることです。道路建設や看護師などはその代表的なものです。特に看護師は世界全体の23%はフィリピン人であると言われており、フィリピン国内には190の認定看護学校があり、毎年9000人の看護師を輩出しています。これら卒業生の多くはアメリカ、イギリス、サウジアラビア、UAE、クウェート、シンガポールなどの外国に渡っていきます。

35才のキャシーは前任地のシンガポールから5年前にサウジアラビアにやって来た看護師です。彼女は4才の頃から病院に連れられていき、現場の雰囲気を体験することから「教育」が始まりました。11才の頃には祖父母の血圧を測るなど、すでにいろいろなことができるようになっていたそうです。また、「これだけ同国人がいるから世界のどこにいてもホームシックにはならない」 とインタビューに答えています。これもフィリピン人の強みなんでしょうね。

社説では、自国の多くの若者が何も勉強しないまま大学まで進んでしまうことを憂慮したうえで、フィリピンのこういった教育システムこそ、サウジアラビアに欠けているものであると賞賛しています。世界経済を支えているフィリピン人に感謝すると同時に、花屋のムハンマドの身に起きたことを思い起こし、我々 (サウジ人) はフィリピンを見習ってもっとちゃんと子供を教育しなければならない、とまとめられています。

なるほどねぇ、最後はやはり子供の教育の話ですか。でも、大人が3K労働を毛嫌いしてすべて外国人に任せている現状では、子供にだけ「勉強しろ」「働け」なんて言ってもまるで説得力がありません。学校で生徒に教室の掃除などさせようものなら、親が血相変えて怒鳴り込んでくるお国柄ですから。まだまだ道のりは遠そうですね。

サウジアラビアで働くメイド

オイルマネーで潤うサウジアラビアなど湾岸産油国は、アジア諸国にとっては絶好の出稼ぎ地です。彼らの外貨送金は、本国にとっても無視できないどころかGDPの大きな部分を占めるまでになっています。例えば、湾岸産油国も含め世界中で働くフィリピン人は、2006年に合計152億ドルの外貨を本国に送金したそうです。これはフィリピンのGDPの13%にあたります。

世界一外貨送金が行われている国はアメリカですが、2番目に多いのはサウジアラビアです。2006年にはサウジアラビアのGDPの5%にあたる156億ドルが、様々な国に向けて送金されました。

統計の出処によって数値はまちまちで、サウジアラビアで働く外国人ワーカーは600万人とも800万人とも言われていますが、サウジアラビア政府の発表を信じれば、サウジアラビアの人口2400万人のうち、自国人は1750万人、外国人は650万人です。だいたい4人に1人が外国人ということになります。

100万人以上のワーカーを送っているのはインドネシア、インド、フィリピン。次いでスリランカが60万人。彼らの仕事は医療や建設の現場、そして住み込みのメイドや運転手がほとんどを占めます。もちろん、いわゆるビジネスマンという人たちもいます。

会社所属ではなく一般家庭で働く外国人ワーカーの数を正確に把握することは難しいようですが、サウジアラビア政府は毎月概ね2万人が就労ビザを得て入国していると発表しています。一方、インドネシア大使館は、インドネシア人だけでも毎月1万5000人が来サしていると言い、またサウジ人材派遣業組合は毎月3万から4万人が来サしていると推計しています。

サウジアラビア労働省によれば、一般家庭で働く外国人ワーカー120万人のうち、48万人が住み込みのメイドとして登録されているそうです (他は運転手、庭師)。しかし、メイドに限ってもインドネシア当局は60万人、スリランカは27万5000人、フィリピンは20万人を派遣していると推計していますから、主要な国だけでも、実際にはサウジ政府の発表を大幅に上回るメイドが存在していると考えられます。

サウジアラビア政府は昨年と今年、ネパールおよびベトナムとも人材派遣協定を結んだので、今後はこの2ヶ国からもメイドの派遣が増える見込みです。その他、メイドとして働くワーカーの国籍は、インド、バングラデシュ、エチオピア、エリトリアなど。つい最近、エチオピアから10万人単位のメイドが来るという新聞記事もありました。

アジア人のメイドに対する雇用主からの虐待 (給与不払い、長時間労働、監禁、暴力、セクハラ) については巷でよく語られるところですが、一方で、メイドの中にはしたたかな人たちもいるようです。今朝の Arab News によると、ラマダン中はどの家庭も料理や客人の接待に忙しく、なんとしても追加のメイドを雇いたいという人が増えます。この需要に、違法なルートで応えるメイドがいるわけです。

違法とはつまり、高い給料を条件に、現在の雇用主から逃亡し、新しい雇用主のもとで働くことです。中間には当然ブローカーがいます。今年の相場は1ヶ月2000リヤル (6万円)、プラス週末の休日という、アジア人メイドとしては破格の条件です。このうちブローカーの手取りは300リヤル (9000円) 程度。年に1回のことなので、サウジ人もこのくらいは出すようです。ラマダンが終われば、またブローカーを介して他の家庭に行くことになります。当然、それだけの技術 (アラビア語、料理) が必要ですが。

今年は学校もまだ夏休みなので、例年にも増して客人が増えると予想している人は多く、普段は料理をしないメイドに、給料を1500リヤルに増やすからラマダン中は料理を手伝うよう言ったところ、「仕事があまりにきつかったら出て行くからね」 とメイドにすごまれてしまった人もいるそうです。

アジア人メイドの当初の給料は数百リヤル (1~2万円) ですが、雇用主は人材派遣会社に5000~9000リヤル (1300~2400ドル) の手数料を払うこともあって、ついメイドを過酷に働かせたり、逃げないよう給料を払わなかったり部屋に閉じこめたりすることもあるようです。言葉が通じないストレスやあまりにも厳しいイスラムの戒律から、ノイローゼに陥るメイドも少なくありません。メイドが 「虐待されている」 と感じるのは、主にこの最初の期間ではないかと想像します (本当の虐待もあり得るとは思いますが)。

しかし、何年かサウジアラビア人の家庭で働き、ある程度アラビア語とアラブ料理ができるようになると、今度は高級・好待遇を求め、雇用主のもとを逃げるメイドが出てきます。Arab News のインタビューを受けたあるブローカーは、友人を通じて複数のメイドの携帯電話番号を入手し、常にコンタクトをとっていると答えていました。それだけ需要があるということです。結局、どの世界も腕を磨けばいくらでも稼げるんですね。法律は守らなくちゃいけませんけど。

サウジアラビア人と話をしていると、奥さんが料理をしないというぼやきをよく聞きます。いまの20~30代の多くは、生まれた時から料理、洗濯、掃除はほとんどすべて外国人のメイドがやってくれていますから、確かによほど好きでないと料理上手にはならないと思います。中には、奥さんが料理をしてくれるのだけどメイドの料理の方がはるかにおいしいということを何年も言い出せない、という悩み (?) を訴える人もいました。

昨年からの急激なインフレで、サウジアラビアは出稼ぎ地として以前ほど魅力的ではないと考える人が半数を占めるようになったという報道がありました。もし、50万人とも100万人とも言われるメイドがすべて引き上げてしまったら、サウジ人の家庭の食事はどうなってしまうのでしょう。さらに、外食産業もすべて外国人ワーカーに依存していることを考えると、サウジアラビア政府が進めるサウダイゼーション (外国人ワーカーをサウジ人に切り替えていく計画) でもっとも必要な職種は、実はコックなんじゃないかと考えたりしています。

明るい家庭にしたいならエジプト人の花嫁を、食事を楽しみたいならレバノン人の花嫁を、有り余るお金を使いたいならサウジアラビア人の花嫁をもらえ、なんていう話を聞いたことがあります。ちょっとサウジ女性の立場がないなぁ。

エチオピア人メイド

サウジアラビアのメイド業界では最大派閥のインドネシア人ですが、雇用主のもとを逃げる (高級で引き抜かれる、あるいは仕事が嫌で逃げる) ケースが多発したためビザ審査を厳しくしたこと、また世界的な外国人労働者需要の増加からインドネシア人がわざわざサウジには来たがらなくなったことなどから、サウジ国内は深刻なメイド不足に見舞われています。

本当にメイドが必要なのかどうかはさておき、とにかくみんな困っているわけです。インドネシア人のメイドだけでも60万人、フィリピンやスリランカ、その他の国を入れたら100万人以上のメイドが個々の家庭で住み込みで働いていますから、依存度が相当高いことは間違いありません。

サウジ政府にとって国民の生活レベルを維持することは至上命題です。早速エチオピア政府とかけあって、エチオピア人のメイドを大規模に受け入れる協定を結びました。最終的には数十万人になる予定ですが、その最初の一団がもうすぐサウジに到着するというニュースが今朝の新聞に出ました。ところが、隣国クウェートでは反対の動きがあります。

クウェート政府は先月、エチオピア人に対する就労ビザを当面禁止する方針を決定しました。エチオピア人メイド3名からHIV陽性反応が出たためです。これは入国時の血液検査で発覚したのですが、問題は彼女たちがエチオピア国内で就労ビザを申請した時、地元の医療施設が発給した証明書ではHIV陰性だったことです。

検査機器の精度が悪かったというよりも、いくらかお金を渡してウソの証明書を書いてもらったと考える方が自然でしょう。エチオピア人というのはあれだけ貧しいのにあまりガツガツしていないというか、金儲けのセンスがないというか、海外に出てまで稼ごうとはしない人たちです。そんな彼らが、出稼ぎ先としてはあまり評判が良くない湾岸産油国に行くのですから、何かワケありなことはすぐに想像できます。

ただ、クウェート側もメイドが足りないのはサウジと同じです。エチオピア国内で信頼できる医療施設を調査するなど、相応の措置を講じた後にビザ発給を再開する予定だそうです。クウェートではこれまでスリランカ人のメイドが多数を占めていましたが、劣悪な待遇が問題視され、スリランカ政府がクウェートへのメイド派遣を制限するようになりました。それに代わって、エチオピア人のメイドが求められるようになったわけです。現在クウェート国内で働く1万4000人のエチオピア人のうち、ほとんどはメイドだそうです。

海外、とくにアフリカに労働力を求める以上、HIVの問題は避けて通れないのかもしれません。より大きな問題を生まないよう、万全の準備で事を進めてほしいものです。

産油国の貧困

サウジアラビアで国内の貧困層について語ることは長らくタブーでした。しかし2002年にアブドラ国王 (当時は皇太子) がリヤド郊外の貧困地域を突然訪問した時から、状況は一変しました。国王と随行員たちはそこで貧困にあえぎ苦しい生活を余儀なくされるサウジ人を目の当たりにし、その後、政府当局者に対しサウジ社会から貧困を無くすようたびたび訴えるようになりました。そうして、アラビア湾岸産油国の中でもっともリッチなサウジアラビアに内在する貧困層について語ることがオープンになったのです。

去年、サウジのある若者 (映像業界の経験者) が国内の貧困層に関する短いドキュメンタリーフィルムを作りました。タイトルは 「俺の給料は1000リヤル」。サウジに貧困など存在しないと信じている多くの国民の注意を喚起するため、彼はフィルムをインターネットで公開しました。その中で、政府の役人が貧困は大都市から離れた遠隔地にのみあり得ると発表していることについても、現実には都市部にも貧困層が存在することを告発しています。

イマーム大学のアルバーズ教授は、2005年にサウジ国内の貧困について調査を行いました。調査によれば、毎月の収入が1600リヤル (4万円) あればなんとか人並みの生活が送れますが、1200リヤルになると相当苦しくなるそうです。この場合、家賃は度外視されていて、つまり借家の場合はさらに厳しいことになります。

サウジアラビア社会問題省によれば、国内で66万世帯が生活保護 (社会保険) を受けており、全体では約200万人が苦しい生活を送っているとのことです。また、失業者は40万人に上ると言われています。人口1700万人に対してかなりの割合です。

地域の専門家によれば、この数字はまだまだ見積もりが甘いとのことで、昨年来のインフレがサウジアラビア人の90%を占めると言われる中流層の実収入を著しく目減りさせていると考えられるのだそうです。ある非公式統計によれば、国民の75%が何らかのローンを組んで生活費を捻出しており、そのうち20%は貧困生活を送っているとのことです。

サウジ女性が直面する貧困はさらに深刻です。これはガーディアン制度がある限り解決は難しいかもしれません。女性が自らの意志で働くことが極めて制限されているからです。ガーディアン制度は伝統的に女性を保護するための仕組みですが、それが逆に女性の自立をあり得ないものにしてしまっています。生活保護を受けているのもやはり女性が多いそうです (夫と死別、離婚、夫に捨てられた、親族の援助を受けられない結婚をした、受刑者の妻、etc)。弱者がますます困窮していく構図はどの国でも同じですね。

フィリピン人のバイタリティー

さるレストランに行った時のこと、店員がメニューを渡しながら 「チャイニーズ?」 と聞いてきました。「ノー、ジャパニーズ」 と答えると、すかさず満面の笑みを浮かべて 「オレ、日本で働いてたんです」 といきなり日本語を話し始めました。フィリピン人の彼は、すぐ近くにいた別の店員を呼び寄せ、「これ、オレの友達です、よろしく」 となんだか強引に紹介してくれました。

メニューを頼みつつ日本語であれこれ話していると、「携帯の番号教えてください。友達になりたいんです」 とあきれるくらいの直球を投げてきました。「うーん、もう来月日本に帰っちゃうんだよねぇ (←ホント)」 とやんわりと拒否したのですが、「じゃあ日本の電話は?。また日本に行きますよ」 とけっこう食い下がってきました。「住所が決まってないんですよ、残念ながら (←ちょっとウソ)」 なんて感じで結局名前も電話もちゃんと教えませんでした。

フィリピン人と会って一通りの世間話の後こんな会話になったことはよくありますが、初対面からわずか1分くらいでここまで食いついてきたフィリピン人は初めてだったので、逆に見上げた根性だと感心してしまいました。友達になりたいのも半分は本当でしょう。ただ、それ以上のことは何もできませんからねぇ。ビザとか取ってあげられないし。それにしても、どれだけサウジの仕事が嫌なんでしょうか。

支払いの時、「サウジアラビア、大変でしょ?」 とお決まりの質問をされました。ここで本当のこと (決して嫌いではないこと) を言うとすごくがっかりされるので、いつものように 「本当に大変だよねぇ」 と適当に相づちを打つと、「ウンウン」 と満足そうにうなずいていました。たぶん彼らは本当にきついんだと思います。給料不払いとか人間扱いされないとか、いろいろ聞きますから。

店を出る時、広い店内に響き渡るほど大きな声で 「どうもありがとうございましたー! (←もちろん日本語)」 と言ってくれましたが、正直、恥ずかしかったです。周りのサウジ人の視線が痛かったし。しかしこの店は二度と行かないだろうなぁ。今度行ったら 「友達OK!」 と言っているようなものだし。というかご飯がいまいちだったんですよね。そっちの方が大きいかな。「この料理、日本でビジネスできる?」 と聞かれた時も、「絶対無理!」 とは言いませんでしたが、「ちょっと難しいかも」 と思わず口をついて出てしまいましたから。

いずれにしても、こういうバイタリティーのある人にいつか幸運 (お人好しの日本人) が巡ってくることを祈ります。